
この1年の報告に代えて眞砂和典 SIS 校長
学年の終わりが近づいてきた。12年生はいよいよ卒業だ。私たちが共有した千里国際学園としての最後の1年は激動の年だった。それぞれに受け止めた様々な出来事が、辛いことも含めて、生徒や学校関係者が先へと進んでいくエネルギーとなることを期待したい。
去年の4月はまず学校前の道路の開通から始まった。歩行者天国のようだった道路に慣れていた生徒の安全をどのように確保するかという悩みは、今年の1月末に信号が設置されるまで10か月間続いた。5月に海外から日本に入ってきた新型インフルエンザの流行に対する恐怖は、大阪府のすべての学校が5日以上休校になるという凄まじい勢いで人々の不安を駆り立てた。直前まで海外での学校説明会に飛び回っていた私は飛行機の中で待機させられた。防護服を着た検疫官の検査を受けるというニュースそのままの経験をした。ホームページでの課題学習プログラムが素早く立ち上がったことは良かったが、学園祭の延期やオーストラリアホームステイの中止は苦しい決断だった。他のことでも、不安が広がるといろいろなうわさが雪だるまのように大きくなっていくこともあった。学校での紛失物を減らすことは今年度、井藤教頭を中心に取り組んできた課題のひとつで、少しずつその成果が上がってきている。にもかかわらず、「盗難」が蔓延っているとの誤解が広まったのには困惑した。これからもいろいろな方向からの対応を考えていきたい。 何とかたどり着いた夏休み中には途中退職した教員の影響ができるだけ少なくなるように引き継ぎに奔走し、生徒や保護者に対する説明会を開いた。秋には実際にインフルエンザが広がり、授業をどのように確保するのか、学年閉鎖をどの時点ですれば効果的なのか、毎日欠席者の数とその理由を調べてにらんでいた。 これが落ち着いてやっと平常の有難さを感じられるようになった頃に、教員が覚醒剤取締法違反で逮捕されるという事件が起きた。報道機関から問い合わせが殺到する中、とにかく早く生徒や保護者の皆さんに事実と謝罪を伝えたかった。保護者会のご協力でその日のうちに連絡ができたのは本当に助かった。おかげで大阪府から早い対応についてはお褒めの言葉を頂戴した。その後も保護者の方々からの協力や励ましは大きな支えになった。全校集会をし、警察に行き、保護者説明会をし、教職員で臨時の会議や学習会を持った。生徒に手紙を書き、個別に意見を聞き取る機会を作った。今年の1月末には卒業前の生徒達に集まってもらって授業を行った。外部の方に来ていただいて生徒向けにお話をしてもらうよりも、SISの生徒をよく知っている私達教員自身が直接、上から目線ではなく、薬物乱用防止教育を進める必要があると感じた。この件は大変複雑な問題や感情を含んでいる。話し手と聞き手との心が通いあっていないと反発を招いて逆効果になりかねない。本当にしっかりと受け止めてもらいたい生徒ほど興味本位に伝わることさえ起こりうる。もちろん生徒だけに押し付けるのではなく、教職員が率先して真摯に学ぶ必要がある。 この数ヶ月、繰り返し生徒たちに伝えたのは教職員が逃げないこと、生徒が誇りを失わないこと、こんな時こそ普段の授業や活動をしっかり行うのが重要であること、不安に流されるよりも家族や友人との楽しい時間を共有すること、そこから身近な人々への感謝の気持ちを大切にすることだった。それらが私たちの正しい判断を支える原動力になるだろうと話した。
この1年を振り返ると大変だったことが次々と思い出される。どのようにしてこれらを乗り越えてきたのか不思議なくらいだ。学校というところは頑張ればいい結果が出るようにお膳立てされたシステムといえる。生徒たちが努力を重ね、それが認められて、良い結果が出て、褒められて、次の段階へと進むという良いサイクルに乗って成長できるようになっている。論理的に考えて意味のある方向へ努力を重ねていく訓練をする場所だ。これはもちろんいいシステムである。そして、それが誰にでも公平で順調に動くように教職員や保護者は細心の注意を払って生徒たちを見守っている。しかし、努力と結果がきちんと結びつくように仕組まれた環境で成長しているだけでは意外な落とし穴に陥ってしまうこともあるのではないだろうか。 自分が教員であるのにこんなことを言い始めたのには訳がある。実際の社会に出るとそうでないことがあるからだ。現実の社会にはどんなに頑張ってもいい結果が待っていると期待できない試練も待ち受けている。どんなに説明されても割り切れないこともある。自分の意思とは関係なくどうしようもないことも起こりうる。試練の中でじっと耐え、とにかく淡々と、するべきことを実行していかなくてはならない時がある。この仕事を片付けるとよい方向へ進んで、先の見通しがついてくるというのではなく、目の前にあることをとりあえずはしなければならないが、その結果、楽になるとかすっきりするとかいう保証もなく、苦労しながら、じっと耐えながら続けていかなければならないことがある。
するべきことが否応なく次から次へと出てきて本当に辛いのに休まることがない。逃げることもできない。こんな時どうすればいいのだろう。私が行き着いた結論はそれを「修行」と思うことだった。できれば修行などする必要のない人生を送りたい。しかしそうはいかないのだ。何の役に立つのかも分からないことを苦しみに耐えながら続けなければならない時、それを修行と考える。よい結果が待っていなくても、その辛さに見合う報酬がなくても、それだからこそ修行は人を強くするだろう。名誉や金などの欲望のために頑張ることは、本質的には人を強くしたり鍛えたりすることにはならないだろう。自分に利益をもたらすとか、人によろこんでもらえるなどの目標があって人にはやる気が起きる。しかし、世の中はそれだけで動いてはいない。何のためにもならないかもしれないことを背負って耐え、頑張らなければならないことは起こりうる。それが本当の修行だろう。真の強い人になって、ささいなことには動揺しないようになるためにはそんな経験を積むことが必要なのだろう。 目の前にある大変な困難も修行と考えるとふっと気が楽になる。ちょっと休んだらまた食らいついてやろうかなと思えるようになる。真っ暗闇の中で無我夢中に走っている時にただ倒れてしまうのではなく、少し考え方を切り替えると、今まで見えなかった小さな幸せみたいなものがぼんやりと見えてくる。暗闇で目をつぶってしまうのではなく、じっと耐えて待っていると気付かなかったわずかな光がゆっくりと少しずつ感じられるようになる。この苦労はいつか自分を支える根っこになると確信することだ。
はじめには書かなかったがこの1年の大半、もちろん目的を持って私も日々の仕事をしてきた。その中に楽しさや喜びを見出して張り合いのある毎日だった。しかし、その日常の幸せを感じるためには人としての強さを備えていなければならなかった。学校から荒海に出ていくみなさんには是非このことを知っておいてもらいたい。いつか、耐え難いような苦しみに包まれた時に思い出してほしい。心から支援したい。心でしか支援できないが…。
千里国際学園中等部・高等部 校長 眞砂 和典 スクールライフ 最新項目
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